作品にはその人の人間性が必ず表現される。
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(注:下記内容は個人の見解であり、根拠はありません)
どのような作品にも作者の個性が反映される。個性だけならば特に問題はないのだけれど、実際には作者の本質が反映されている。なので自身の作品を公にすることは私にとって自身を丸裸にさらけだしているようで、こっ恥ずかしく、大変な勇気がいる。ここでいう作品というのは絵画や彫刻などに限定されず、文章、工作、スピーチなどすべての著作物がこれにあたる。当然今書いているこの文章も対象となる。つまりただの雑な文章ではあるが大変勇気を振り絞って書いている。
(別に自身の本質が反映されるからといって気にずる必要は全くないのだけれど、そこは人間なので、やはり相手に見透かされたり、悪い印象を持たれるのは嫌なのである。)
たとえば自由に絵を描いてもらうとする。風景を描く人もいれば、人間を描く人、街を描く人、空想を描く人、おそらくその人の心理を反映した絵になるはず。子供は特に他人に見せる前提で絵を描かないので、もろに心理が反映される。笑っている人の絵や泣いている人、中には首や腕を切って血が流れている絵を描く人もいる。素人目に見ても、血を流している絵を描く子は何かしら問題を抱えているのは明らかである。
絵が特にわかりやすいのは色づかい。大人の場合、誰かに見られることを想定し、自身の内面を抑えた表現にするし、もしテーマが決まっている場合(町の絵を描くなど)本質は反映されにくくなるように思われるが、色づかいまで気を使うことは少ない。単色(白黒)の絵を描く場合は人間関係に深刻な問題を抱えている。逆に複数の色を使うカラフルな絵を描くような人は比較的問題はないように思う。
いじめという犯罪行為で自殺した被害者の絵を拝見したことがあるが、いじめが始まる前と後で作風はもちろん色づかいも明らかに変化していることが誰の目で見ても明らかだった。最初は女の子が笑顔の絵が多かったが、いじめがひどいときの絵は黒色だけ、絵の内容も暗い感じの内容になっていた。いじめなどを受けている人間が声をあげて助けを求めることは少なく、場合によっては心配かけまいと何もないようにふるまうことすらある。でもその人の「作品」を観察することでひょっとしたらSOSを見つけることができたかもしれない。
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実際には絵などを見る機会はそんなにない。でもそれに近いものを日常で観察できる。それはその人の着ているもの。または社会人であれば報告書やプレゼンテーションスライドなどである。
洋服は一種の「作品」であり、その人の本質が現れる。例えば黒一色にこだわる人はあまり社交的ではないし、いろんなことに対していて否定的であり、自身の悪い点に関して顧みることが少ない。黒一色の服装をしている人がダメであるという話ではなく、むしろ問題を抱えているHELPが必要な人である。
絵画と同様に色づかいがダイレクトにその人の本性を反映する。プレゼンテーション資料も同じ。会社によってはテンプレートがあるかもしれないが、配色や文字の大きさなど「作品」である以上、その人の本質は必ず現れる。
作品にはその人の人間性が必ず表現される。