日本人にとっての天皇家


Image by svklimkin from Pixabay

日本人は天皇家が好きである。正確には天皇家が好きな人が多数を占める。私も天皇家が好きである。天皇家に対して好意的な海外の記事を見かけると嬉しく思うし、もしチャンスがあればお目にかかりたいとさえ思う。天皇陛下を含め、一家の方々は芸能人ではないし、私も直接お会いしたことすらないし、肉声すらあまり聞く機会はない。にもかかわらず、なぜこうも人気があるのだろうか。

おそらく、われわれ日本人は天皇家の方々に日本人としての絶対的な善意を映しているのだと思う。もっとわかりやすく言うと、どんなに自分が下衆な人間であろうと、他の人と等しく全くの悪意なく接してくださると信じている。天皇陛下は決して他人を馬鹿にするような発言はしないし、他人を傷つけるような発言もなさらない、また心の中でさえも微塵の悪意をお持ちでない最強のいい人であると信じている。

人間は互いに心の中を覗けないので、お互いにどのように相手のことを考えているかわからない。実際いいひとと思っていた人が実は裏で陰口をするような人であったりすることはよくあるし、親しい友人といえど、勘違いや行き違いで悪意を抱いてしまうことがあり得る。でも天皇家の方々は違う。私がどんなにダメ人間であったとしても「死ねよクズ」などと決して言わないし、思うことすらしない。そう信じている。

先ほどから「信じている」と繰り返しているが、実際には信じる根拠などなく、本当はそう「信じたい」のであり、そうあってほしいという願望である。言い方を変えれば天皇は人々の精神的な拠り所となっている。

これは宗教と似た部分がある。人間は精神的に脆く、個人差はあれど精神的なダメージは回復に時間がかかる。また世の中または自身に対して不信をいだくようなことがあれば、精神的に不安定になる。支えてくれる家族や恋人、友人などがいれば幸いであるが、いない場合、または支える側であれば、さらに大きな精神的な支えを人は探し始める。それが「神」であったり「天皇」であったりもしくは両方であったりする。特に天皇は目で見ることができ、そこに実在する。

日本人の大多数が天皇に精神的な拠り所として寄りかかっている。そうだとすると天皇からするとそのストレスは半端ない大きさである。精神的な支えとなる役割をこなすためには完璧であらねばならない。ただ実際天皇も人間である。天皇自身が拠り所とするのはどこであろうか?私は知らない。ひょっとすると無いのかも。どちらにせよ、多大なストレスを受けながら日々お過ごしになっていることはよくわかる。もちろん私だけではなく多くの日本人がその苦労を感じ、陛下および天皇家の方々が心安らかに過ごされることを願っている。

日本以外の国はどうであろうか、特にアメリカなど、非常に興味深いけどこれはまた別の機会につぶやかせていただきます。

ネットの片隅でぼそぼそと小声でつぶやいておりますが、最後にひとつだけ、恐縮ですが天皇陛下およびご家族の方々が心安らかに過ごされるよう願っております。