価値観の違い1


Image by Kevin Ramirez from Pixabay

学生時代に後輩が教授に叱られへこんでいたので、慰めてやろうと思い「そんなの気にする必要ないって、どうせ君の人生に全く影響ないよ。60歳の自分を想像してみ?叱られたことすら忘れてるよ」って伝えたら、「先輩は能天気なんで僕の気持ちなんてわからないんでしょうね」のようなことを言われた。当時は「あれ?俺なんか間違ったこと言っちゃったかな?」ぐらいに思ってたけれど、今考えると間違ったと言わざるを得ない。当時の彼に必要だったのは「共感」であり、「正論」や「対策」ではなかった。「大丈夫?あんな言い方されると誰でもへこむよ、コーヒーおごってやるよ」ぐらいがよかったのかもしれない。

常に「共感」が正しい解なのではなく、相手の価値観に沿った回答を選ぶ必要があるということ。私のようなタイプには「共感」ではなく「対策」を示してくれれば「なるほど」と納得するだろうし、後輩のようなタイプであれば「対策」ではなく「共感」を示せば有効的な慰めになるはずだ。

どのように回答するべきか、それは相手の価値観に大きく依存する。それを見極めて適切な回答をするには相手を理解する必要がある。過去の私はそれが著しく欠けていた(今はちょっとましになった)。

この手の理解不足に起因する価値観のすれ違いおよびそれに伴うエピソードはよく目にする。たとえば男女関係、であったり、文系・理系思考など。問題の解決策はすでに示されていて、異なる価値観を互いに理解することである。一方で、これを実行することは非常に困難である。なぜなら価値観の違いは良いこと悪いことの定義が含まれるので異なる価値観の間で互いを理解する大きな障壁となっている。

「宗教」「人種」「文化」「性別」

互いに理解することは無理とすれば、それ以外の「解」が必要。